何が世界を破滅させようとしているのか!

 世界の動きを見ていると人類は進歩ではなく、破滅に向かってまっしぐらに進んでいるようにみえる

 世界の人口推移をみると私が生まれた1955年には約28億程度だったのが、現在では67億だという。
 旧約聖書の創世記第一章には「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。・・・・・」」(1955年改訳版)と書いてある。
 人類は既に十分に生んで、ふえて、地に満ちた。そして、自然を破壊し、資源を消費し、大量の廃棄物を排出する一部の富める者と獣以下の生活で苦しむ大多数の人間に二分された

 ほんの数百年前まで人間はそれぞれの地域で独自の文化を持ち、持続可能な生活を続けてきた。その世界各地の持続可能な独自の文化を白人達は未開の文化、即ち、野蛮な文化として否定し、破壊し、そして自分達のキリスト教に基づいた西欧合理主義を唯一絶対的なものとして世界中に押し付けてきた。キリスト教には寛容の精神がない。唯一絶対の神を信じるのであるから、それ以外の神を邪道として排斥し、破壊するのは論理的に考えて当然のことであるし、実際にキリスト教徒はそうしてきた。

ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰に到達したのは、1497年。マゼランが途中で戦死しながら世界一周をなしとげたのが1522年。一方、明の永楽帝に命じられて鄭和が大船団で1418年に出発した第5回遠征の分隊は、東アフリカのマリンディに到達している。中国は白人よりも早く遠洋航海を行っていたのである。鄭和は植民地を作らなかった。それをもって、白人達は中国は世界に誇れる文化を持たなかったから植民地を作らなかったという。本当に優れた文化を有していたら、それを押し付けるのが当然だという論理である。そこには他民族の文化を大切にし、共存するという思想はない。彼らにとってキリスト教以外の文化は全て抹殺すべきものなのである

 キリスト教の世界観の特徴は、この地球、自然を人間が支配、利用すべき物と考えている点にある。地球や自然は神聖な大切なものではなく、人間が利用、改変すべき物なのである。実際に白人は科学という合理主義でのみ世界を理解し、利用して来た。それによって人間の物質文明は進歩してきた。
 今、科学を進歩させ、人間の欲望を充足させることは、誰でも当然のことと考えている。子供が生まれなければ不妊治療をする。母体が使えなければ、他人の腹を使って代理出産をさせる。なぜそこまでするのかと医者に尋ねると医者はそれを望む人間がいるからだと言う。

 人工衛星から夜の地上を撮影すると北朝鮮のみが暗幕を張ったように黒い。周囲の日本、韓国、中国は夜でも明るい。ぽっかりと完全に真っ黒なのが北朝鮮である。食料難で餓死者も出るような国であるから当然エネルギーも不足している。しかし、どちらが正常なのか。夜に赤々と電気を使うことが良いことなのか?昭和48〜49年のオイルショックでは、深夜のテレビ放送が中止され、繁華街のネオンを消すように指導された。現在は地球温暖化が議論され、京都議定書も発効しているのに何ら国民的な動きもなく、政府もやる気なく、逆に消費を煽っている。消費は現在でも美徳であり、経済的発展のみが世界の目標なのである。

 人類は何ら目標とする理念もなく、ただ単に物質的裕福さの追求のみが正しいこととして動いている。消費者が買い控えすれば、その内在する消費欲望を煽ることが良いこととされている。人間の欲望は、人類を進化させる最も根源的な原動力として現代社会では認められている

 しかし、それは本当に良いことなのか?人類の将来にとって望ましいことなのか?仏教は人生の苦の根源を欲だという。仏教は人間の欲望を否定した。正に仏教は西洋合理主義を根源的な部分で否定しているのである。仏教はキリスト教と違って攻撃的、好戦的でなく、内省的であるから思想的に表立って対立することはないが、このことは特筆すべきことであると考える。

 ユニセフは、世界では未だに予防可能な病気などが原因で毎日2万6,000人を超える幼い命が失われているという。さらにユニセフは1990年から2015年までの間に子どもの死亡数を3分の1に減少させるというミレニアム開発目標(MDG)4を達成する目標を掲げている。私はここで疑問に思う。子供の死亡数を減らして一体どうしようと言うのか?根本的になぜそのような状況が生まれることになったのか。そこに手を付けずに子供の命の問題だけを訴えても駄目である。私の島根の墓には20歳にならずに死んだ先祖の墓が多くある。戦前は病気で簡単に人が死んでいったことが分かる。人の命は軽かった

 アフリカなどの子供達が可哀想なのは、非衛生的な環境に住んでいるからではない。早く死ぬからではない。食べ物が無いからではない。白人とキリスト教徒によって自分達の本来の文化が奪われた環境にいるからなのである。アフリカには内戦が絶えない。白人が勝手に引いた国境線。アフリカの資源を獲得しようとする白人どもが武器を売って利権を獲得しようとしている。その白人どもとは主にアメリカ、イギリス、ロシア、フランスである。現在では中国の武器輸出も問題になっている。武器を売って、争いを起こさせ何が民主国家か。アフリカの問題の全ての根源はキリスト教と白人にある

 白人キリスト教徒の野蛮さを最も象徴するのは、スペインによるアメリカ大陸の制服であるマヤ文明、アステカ文明、インカ文明を破壊し、虐殺し、金銀を奪いインディオ女性を強姦して、キリスト教への改修を強制した。この事実をキリスト教徒は現在でも全く反省しておらず、未だに正当化しようとしている。2007年5月13日、ブラジル訪問中のローマ教皇ベネディクト16世は、「先住民は聖職者の到来を歓迎した」、「福音を説くことでコロンブス到達前の文化の自主性を奪ったことはなく、外国文化の押しつけでもなかった」と発言している。良くここまで言えたものである。開いた口がふさがらないとはこの事である。これがキリスト教徒の実態なのである。

 自分達は何をやっても全て正しい。異教徒は征服されるべき存在である。それがキリスト教をベースにした白人の考え方なのである。現在でもこの考え方は全く変わっていない。

 キリスト教を中心とした自然を材料としか考えない自然感、欲望を満たすことが良いことだと考える世界観に基づいた現代社会は近い内に破綻するであろう。自然環境の破壊、化石燃料の枯渇、人口増大による食糧問題、砂漠化による土地荒廃と水不足。自然に反することを行えば、必ずしっぺ返しを食らう人間の欲望を正当化する文化の限界が見えてきたのである。今こそ新しい価値観の創造が必要なのである。

(2009年5月2日 記)

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